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日本最北の水田

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遠別町の北部の水田は、大正7年の春、佐藤吉蔵氏により清川311番地付近に造田が始まった。
これに倣って小規模の造田が各処に行われたが、種子は村内で譲り受けた在来坊主のため反収は三俵内外だったといわれる。
大正14年になり八千代橋以東から東十線の区域三十一町五反、組合員22名で用水組合が結成される。
これより北部の丸松地区においても、大正15年2名の農家がそれぞれ1反の水田を作る、昭和4年から10年くらいまでに10町歩を越えたが、その後凶作に見舞われ酪農に切り替えるなどして荒廃するに至った。
現在の、最北の水田は北緯44度45分、東経141度52分となっている。

英語文書の画像
日本最北の水田の写真

最北の地で水稲営農が継続できる要因として、日本海を流れる,対馬暖流の影響により、農耕期間の積算気温、は2,500度から2,900度と温暖な気候であります。
又、水田の水源である遠別川の水源はピッシリ岳であり位置的には羽幌町と同じくらい南部となり,水温の高さが幸いしてると思われます。
世界的に見ると、遠別町より北部の地域で稲作が行われているが、その殆どが自生種であったり陸稲であるとのことであり、水稲としては世界的に最北であろうと考えられる。

世界地図
発展しつつある稲作
北限夢工房の外観写真
近代化の進む稲作ライスセンター「北限夢工房」
純米酒 『北吹雪』の写真
日本最北の純米酒 『北吹雪』

日本最北のもち米を使った端麗辛口純米酒 母なる海、日本海。 そのふところにいだかれた街・遠別町。深く蒼く澄んだ海の彼方には、孤高の秀峰・利尻富士を望み、古くから森と海がここちよく共存する、安らぎの街として栄えてきました。
その遠別町は、日本最北の米どころであり、北限のもち米「はくちょう」の特産地でもあります。
「北吹雪」は冷涼な気候風土の中でしっかりと味わいを膨らませた遠別産もち米だけを使った「もち米100%純米酒」で、ネーミングは一般公募に寄せられた中から選ばれたものです。

遠別町見取り図

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